死は一大事 | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

私たちの心の奥底には、自分なんかここにいてはいけないのではないかと思う心があります。

何も無い価値のない自分は存在してはいけないと思っています。

だから、価値のあるものに執着して、自分のものにすることで、自分は生きていてもいいんだと安心します。

しかし、何かのことで価値のあるものを失い、自分に何も無くなってしまうと、猛烈な不安が襲ってきます。そして、その不安に耐えきれず、発狂してしまいます。

だから、私たちは無意識のうちに自分の持っている価値を失わないように、失っても、言い訳が言えるように、いつも自分の心に余裕を残し、全力を出しません。

それは全力を出して出来なかったら、価値のある所に立っていることができないからです。そうやって私たちは価値のある所に立って安心して生きているのです。

でも、そうやって価値のある所に立って生きていても、臨終になったら、すべての価値を失う。その時は狂わんばかりの不安が心を覆います。

これを仏教で後生暗い心と言います。

私たちは後生暗い心を誰もが抱えて、生きている時は価値にとらわれて生きています。

死は誰にでもやってくるものですが、誰も真剣に考えようとはしません。それは真剣に考えると不安になるからです。なぜ不安になるのか?

それは死とは、人生におけるあらゆる価値を粉砕します。そして、価値を失うと何も無い自分だけが残ります。

その何も無い自分が普通の人は耐えられないのです。誰もそんなこと言ってないのに、自分はここにいてはいけないのだと思ってしまうのです。

その不安に耐えられず、楽になりたいと思って自らの魂さえも粉砕してしまうのです。

多くの人は死ぬ時にこの不安に襲われる。だから、死は一大事なのです。

だから、死を考えずに誰もが生きています。

そして、生きている時は価値にしがみつき、価値を集めて生きています。

本当は価値を集めるのではなく、何も無い自分だけど、ここにいていいんだという安心感を得なければならなかったのに、誰もそんな人生でやらなければならないことも知らずに生きています。

多くの人にとって人生は不安を誤魔化す為にある。

そして、死によって誤魔化していた不安が吹き上がる。

それでは、手遅れなんですが、誰もそのことを知らず、当たり前のように毎日を送っています。

死は一大事なんだと思いました。