馬鹿にされて腹が立つのは | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

馬鹿にされて腹が立つのは、自分のことを馬鹿にされるような価値のない人間ではないかという不安があるからです。

もし自分のことを馬鹿にされるような人間だと認めていたり、馬鹿にされるような人間ではなく価値のある人間なんだと確信していたら、馬鹿にされても腹を立てることはありません。

価値のある人間ならば、価値のある人間、価値のない人間ならば価値のない人間とハッキリとしていたら、馬鹿にされても腹を立てることはないのです。

自分のことを馬鹿にされるような人間だと思いながら、そうじゃないのだと価値のあるところに立っているから、ちょっと馬鹿にされただけで不安になるのです。

じゃあ、どうしたらいいのでしょうか。

それには自分よりも価値のあるものを持つことです。自分の命よりも大切なものを持つことによって、そんな尊いものを大事にしている自分はとても価値のある存在であり、自分のことを大事にしなければならないと思えるのです。

じゃあ、自分の命より大事なものがあるでしょうか。

それが仏法です。

仏法とは、すべての人が幸せになれる教えであり、仏法ほど尊い教えはありません。

それを自分の頭の上に置き、敬うことで、自分のことをこんな尊い仏法を知らされたから、価値のある人間はいないのだと思えるようになります。

自分には何もないけれど、仏法を知っているから、無限に価値のある存在になる。

だから、自分の人生を大事にしなければねらないのだと思うようになるのです。