よく無常に驚いたら、仏法に対して真剣になると思っている人がいます。だから、いつか真剣になる日が来るから、その日が来るまで、今のままでいいと思っています。
でも、多くの人は無常に驚くことがないまま人生を終えて、死んでから無常に驚きます。
そこで驚いても、残された時間がないから、結局、為す術なく、後生へと飛び込んでゆきます。
それでも、中には無常に驚く人もいるでしょう。
でも、そんな人も、死への不安から現実を欲で誤魔化し、何もすることなく、死んでゆきます。
だから、無常に驚くのを待つのではなく、まだまだ死なないと思っている時に、死の準備をしなければならないのです。
だからこそ、仏法は平生元気な時に真剣に求めなければなりません。
必ずやってくる死。その死をまだまだ先と思っている間しか安心して求める時はないのですね。