人は誰しも温かい言葉をかけてもらいたいものです。
それは、温かい言葉をかけてもらうことによって、自分の心が温かくなるからです。その為に多くの人は、価値のある人間にならなければならないと思って、価値のあるものを求めています。
しかし、価値のあるものを手に入れて価値のある人間になったとしても、大事にされるのは、始めのうちだけで、慣れてくると、相手は私のことを雑に扱ってきます。
そうなると私たちはこの人だから雑に扱うのだと思って、別の人だったら大事にしてくれると思ってしまいます。そうやって、別の人に移ったとしても、やっぱり大事にしてくれるのは、始めのうちだけで、時間が経つと、また同じように軽く扱ってきます。
つまり、価値のある人間になったとしても、人は私のことを大事にはしてくれないのです。
では、どうして大事にしてくれないのでしょうか?
それは相手の心が温かくないからです。
自分の心を温かくしてもらおうと思ったならば、価値のある人間になるのではなくて、いつも相手の心を温かくしてゆかなければならないのです。
しかし、言うは易く行うは難し。
相手の心を温かくしようと思ったならば、まず自分の心がある程度温かくなってゆかなけれぱなりません。
どんなに相手の心を温かくしようと思っても、自分の心が冷たくなってしまったならば、温かくすることはできないのです。
だから、温かくしてもらいたいと思ったならば、まず、自分で自分の心を温めてゆく方法を知らなければなりません。
それを教えられたものが仏法なのです。
自分の心を温かくしたいのならば、他人に温かくしてもらうことを期待するのではなく、自分が自分の心を温める。そして、温かくなった心でまわりの人を温かくしてあげることなのです。
他人の心は温かくしたら、自分に対して温かく接してくれます。そして、お互い心が温かくなるように接するようになり、そこに幸せが生まれます。
誰かがまず自分の心を温かくすること。それができなければ、自分もまわりの人も冷たい心を抱え、温かくしてくれることを求め続けてゆかなければならないのですね。