弊 | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

弊とは、自分の間違いを教えてもらっても、自分の間違いを認めることができず、反省して正してゆくことができない心です。

では、なぜ間違いを認められないのでしょうか?

それはいつも自分の思いを通す時は正しい所に立って、相手の間違いを否定してきたからです。

つまり、弊の人は間違っているものは正しい人の言うことを何でも聞かなければならないと思っているのです。

弊の人にとって、間違いを指摘することは自分の言うことを聞かせる為の手段でしかありません。だから、間違いを指摘するのは、その人の悪いところを直して苦しみから離れさせてやりたいという心からではなく、単に気に食わないからだけなのです。

自分よりも下の人間なのに、自分の立場をわきまえず、いい気になっている。だから、私に対しても気を使って立てることをしない。そんな相手の間違いを指摘して、間違いを認めさせ、身の程を知らせる為に指摘するのです。

だから、自分から見て下の人には、好きに動く自由がありません。いつも私のことを立てて、自分の思い通りに動いて当然と思っています。

だから、間違いを指摘して自由を奪って、自分の思い通りに動かそうとしているので、自分も間違いを指摘されると、自由を奪われて、無力感を感じなければならないと思うので、間違いを認めることができず、いつも正しい所に立ってしまうのです。

だから、弊を直したいと思ったならば、まず自分が他人の悪を正したいと思うのは、相手が間違っているからではなく、気に食わないからと自覚することが大切です。

そして、相手が好きなように振る舞うことを許してあげることが大切なことです。

相手が好きに振る舞うことを許してあげれば、自分も好きに振る舞えるようになる。正しくなければ、自由に振る舞うことはできないと思わなくて済むようになります。

そうやってどんな時も自由に振舞っていいんだと思えることで、自分の間違いも認めることができるようになるのです。