私たちはまわりの人に対して自分の持ち物や地位や名誉、財産によって自分の価値を見てもらおうとしますが、仏教では、そんなもので人間の価値を判断することはできないと教えられます。
それはどんなに価値のあるものを身につけたとしても、死んでゆく時には、何一つ持ってゆくことはできないからです。
持ってゆけるのは、己の業だけ。だから、価値のある人間に本当になりたいのなら、心から善に励み、徳を身につけてゆかなければなりません。
でも、どんなに徳を身につけたとしても、それを見た人がすぐに感じる訳ではない。だから、どんなに徳を身につけたとしても、他人は価値のある人間と見てくれないかもしれません。
それでも、長く付き合ったら、その人の良さが分かる。だから、その人が徳があるかないかは長く付き合わなければ分からないのです。
そんな長く付き合わなければ分からない価値よりも、価値のあるものを身につけたら、すぐに価値のある人間と見てくれるので、私たちは身につけるもので価値のある存在になろうとします。
それがどんなに本当の価値ではないとしても、人はなかなか本当の価値を身につけようと努力することはしません。
それよりも自分だけ善をすることは損だと思っている人さえいます。
最後に残るものは己の業だけなのに、死んで持って行けないものだと聞いても、価値のあるものを求めてしまうのですね。