私たちは我が自分だと思って生きています。我とは自分が自分だと思っている自分のイメージのことです。
私たちはこの我が崩れないように生きているし、我が崩れるような現実を目の前にすると、無常という現実が受け入れられず苦しむことになります。
しかし、この現実世界とは、我を崩すような無常がいつやって来るか分からない世界であり、私たちは我が崩れないことを前提として生きているので、人生とはとても苦しい所になります。
これを仏教では生死(しょうじ)と言い、苦しみの世界を表します。
この生死の世界で苦しみから離れる為には、無常の世界を無常の世界だと受け入れて、無常を前提として受け入れるしかありません。
それは我が身の死を受け入れることであり、人は必ず死んでゆくことを受け入れることでもあります。
この境地を生死即涅槃と言い、仏教でいう苦しみから離れた世界なのです。