仏法のお言葉に触れると、溢れる水のように、智慧の水か得られる。欲の楽しみが無くなると、人生何が楽しみと言っても、真理が知らされる以上の楽しみはないと感じます。
真理が知らされると心が浄らかになる。そして、とても優しい気持ちになって、まわりの人の為に動きたいという気持ちになります。
そして、知らされた智慧は映像や本として残してゆく。
そうすることによって、それらのものに触れた人が智慧を体得してゆく。
そういう意味で、仏法のお言葉に触れることは自分が浄らかな気持ちになるだけでなく、まわりの人も浄らかな心にしてゆくこと。
そう思うと、残りの人生どれだけあるか分かりませんが、生きている限り、仏法のお言葉に触れ、真理を説いたり、書き残してゆくことに時間を使ってゆかなければならないと思います。
人を幸せにしてゆく智慧の言葉。その言葉を少しでも残してゆくことが私の楽しみであり、人生の目的ではないかなと思いました。