仏法を聞く人のご縁は、過去世から善知識方がその人のご縁を大事にしてきたご縁。
だから、仏法を聞く人が現れることは、過去から善知識たちによって大事にしてきたご縁を引き継ぐこと。
だから、大事な預かりものだと思って、その人のことを大事にしてゆかなけれぱならない。
少なくとも私はそのように感じる。
たまたまご縁があって、たまたま聞いているようなものではない。
だから、過去世から大事にされてきたものを今生私が大事にして未来へと引き継いでゆく。
仏縁は大事にしてあげなけれぱ続かない。そんな粗末にしていいものでも、軽く見ていいものでもない。
大変な預かりものを受けたと思って、大事にしてゆかなけれぱねらないものが仏縁なんだと思いました。