たった一言ありがとうが言えないだけで | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

たった一言、「ありがとう」と言って、頭を下げるだけで、相手はまた施したいという気持ちになる。

そのたった一言を言いたくなくて、施しを受けることができず、生きる為に必要なすべてを自分が用意しなければならない人もいます。

私はこれから時代、自分で何もかも用意するのではなく、気持ち良く施しを受けることができたらいいと思います。

例えば、家で言ったならば、世の中の人たちは親がすでに建てた家があるのに、その家に住もうとせず、自分たちで家を建てたり、アパートを借りたいします。

しかし、自分で住む場所を用意しようとしたら、それだけでたくさんのお金を必要とします。

もし親の建てた家に一緒に住むことができたならば、その分だけ、お金を稼がなくてもいいし、好きなことに使えます。

もちろん、親の建てた家に住むとなると気を使わなくてはならなくなります。多くの人はそれが嫌だから、自分で家を借りて住みます。

でも、親に気を使うことも、修行だと思って、覚悟したならば、一緒に住む為に、頭を下げたり、気を使ったりすることはありますが、生活は楽になります。

施しを受けることは頭を下げることです。そして、施しを受ける人が気を使わなくてはなりません。

でも、それをすることが当たり前だと思って、身についてしまえば、ある意味、どんな環境でも生きてゆけます。

豊かに生きることは、たくさん稼ぐこととイコールではありません。たとえ僅かしか稼いでなくても、自分が必要としているものをほどこしてもらえば、豊かに生きてゆくことができます。

仏教では、貧乏になるのは、施しをしないからだと教えられます。それは施しをしなければ、施しを受けることもできないからです。

施しとは、自分が上に立って、相手を下に見てするものではありません。それはものやお金を施していても、その施しには功徳がありません。

施しとは、相手に喜んでもらいたいから、また、相手に気持ち良く過ごしてもらいたいから、安心して欲しいからするものです。

そうやって施しをする人は、施しを受ける時も、気持ち良く頭を下げることができます。

豊かになりたいと思ったならば、気持ち良く施しを受けることができる人間になることです。

みんなが私に対して施しをしたいと思うようになれば、私は豊かに生活することができます。

大事なことは、気持ち良く頭を下げて、頂いたものを大事にしてゆくことです。

私にやってきたものを大事にして、感謝して使う。

ただそれだけで、私たちは豊かな生活をすることができるのです。