悪を責めると自分の悪を認められなくなる | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

人はいつも自分が正しい所にいるように正義を曲げる。

他人に対しては厳しく言うことでも、自分がやると自分は悪くないという方向に思考が動いてゆく。

だからこそ、仏教では変わらないものさしを持つことが大切だと教えられます。そして、たとえ悪であっても、責めないことが大切だと思います。

悪を責めると自分の悪を認められなくなる。よく世間では、自分に厳しくなるように、他人にも厳しく接することがいいことだと教えられますが、実際は他人に厳しくすればするほど、自分が悪をした時に認められなくなり、正当化するようになる。

悪は許してこそ、自分の悪も認められるようになる。

でも、悪を許したからと言って、報いが来なくなった訳では無い。だからこそ、悪を反省しなければならない。

悪は責められるから直さなければならないのではなく、責められなくても、報いが来るからこそ直さなければならないのです。

悪を認めなければ、悪を反省することはできない。どこどこまでも正しい所に立って自分の思いを通してしまうのですね。