人間というのは、この世に対する執着が取れると、自分の人生悪ばかりしてきたこそが見せつけられる。
それはどんなに自分の中で悪いことではなかったと正当化しても、それでも自分が自分のことを知っていて、悪だと見る心がある。
そして、自分の悪を責め続ける心があります。
この時、自分が悪いと思うと苦しいから、他人を悪者にして責める心がある。
他人を責めると自分は正しい所に立って楽になる。だから、楽になりたい一心で他人を責めて自分を正当化する心があるのです。
そして、他人を責めれば責めるほど、自分は正しい所に立つから、自分は責められることはないのだと思って容赦なく責めてしまう。
その結果、他人に向けた刃が自分に向いて苦しまなければならなくなるのです。
他人に向けた刃は自分に向けた刃と同じ。
正しい所に立って他人を責める人は、自分の悪に対しても鋭い刃で自分を切り刻むことになるのです。
この苦しみから逃れる為には自分の悪を許すこと。それは他人の悪を許すことでもあります。
他人の悪を見ても、自分も悪があるからと許せるようになったら、自分の中にある刃も消えて、自分を切り刻まなくても済むようになる。
人は悪を造るから苦しむのではなく、悪を責めるから苦しまなければならないのです。