どんなに正しくても従うかどうかは自由 | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

仏法を説くものは、自分の説く教えがどんなに正しかったとしても、それを相手に強制させることはできない。

これが真実だと説いて、それに従うかどうかは相手に任せる。従わないことで、相手が不幸になると分かっていても、だから、私の言うことに従えと言うことはできない。

あくまでも、従うかどうかは相手の自由。

それは自分で選択したことでなければ、納得して結果を受けることができないからです。

自分の受けた結果が幸せであろうと苦しみであろうと、自分で選択したものでなければ、そこから学ぶことができない。

自分で選択しなければならなければならないとなるからこそ、失敗したくないと思う。失敗したくないと思うからこそ、正しい道を選びたいと仏法を聞くようになるのです。

自分の思いのままに進んで幸せになれると思っている間は仏法は聞けない。自分の道は自分で決めるからこそ、自分の人生に責任を持つようになるのであり、教えを聞く耳ができるようになるのです。