人は環境によって決まる。相手から冷たい態度を取られたならば、その人が冷たい態度を取ったのは、その人が今まで冷たい環境に育ったからであって、その人に温かい心を持って欲しいならば、この人に対して温かい気持ちで接し続けてゆかなければならない。
でも、私たちはこの真理がたとえ分かっていたとしても、相手から冷たくされた時になかなかその相手に対して温かく接することができない。それどころか、冷たい態度で接してしまう。
冷たい態度をとられた相手に暖かい心を向けてゆくことは難しい。でも、冷たい態度をとられた相手に冷たく接しても、相手は私に対して好意を持ってくれることはありません。
私たちは冷たくされると相手を悪者にして、相手の間違いを責めれば、反省してくれると思っています。
しかし、そう思って相手を責めると相手は自分の元から離れてゆき、寂しい思いをしなければなりません。
暖かく接して欲しいと思ったら、相手から暖かいものが返ってくるまで、暖かい心を与えてゆくしかない。
それはすぐには返って来ないかも知れない。でも、それでもすぐには返って来ないことを覚悟して与えてゆくしかない。
自分が望む暖かい世界は、他人を責めてできるものではなく、ひたすらまわりの人に暖かい心を与え続けてゆくことしか生まれない。
幸せは他人から与えられるものではなく、自分が生み出すもの。
自分の種まきが自分の未来を変えてゆくと思って、相手の心が変わるまで、暖かい心を与え続けてゆく。
大切なことは暖かい心を与えることよりも、暖かい心を与えてゆくしか幸せな未来はないのだと覚悟を決めること。
覚悟は決めれば、あとはやるだけ。途中、どれだけ冷たい態度を取られたとしても、計算の内。
幸せは覚悟が定まるかどうかで決まるのですね。