私たちは何かに我をつけて、それが自分だと思って生きています。例えば、子供に我をつけている人は、子供が馬鹿にされるとまるで自分が馬鹿にされたように腹を立てるし、自分の作品を否定されると否定されたのは、作品なのに、まるで自分が否定されたように傷つきます。
このように私たちは何かに我をつけて、それを通して自分を感じています。
それは本当は自分が何者か分からないから、間違いのなく存在している我を持つことによって、それが間違いなく存在しているのだから、自分も存在するのだと思いたいのだと思います。
しかし、我は自分じゃない。
我をつけてこれが自分だと思って生きていた人は、我を失うと自分をも失う。
結局、私たちは自分が何者かも分からず、その不安に耐えられないから、我を自分だと思ってすがって生きていただけ。
本当は自分とは何かを探し求めることが人生の中で一番やらなければならなかってのに、それに気づかずにほとんどの人は生きているのです。
本当の自分を知ることこそ、人生の大事であり、それを求めることこそ人生の目的なのです。