生きた証を残しても | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

人間の実相の話では、死の虎に追い詰められた旅人は松の木にすがろうとします。

この松の木とは生きた証のこと。

私たちは人生に終わりがあると思った時に、「いずれは死んでゆかなければならないが、それまでに生きた証を残せば、死んでも悔いがないのではないか」と思っています。

だから、悔いのない人生を生きようと思った時に、死ぬまでにやりたいことをやれば満足ではないかと思ったり、何かを残せば悔いがないのではないかと思います。

しかし、そう思っておれるのは、まだ死が遠くにある間だけ、癌の宣告を受けたりして、死が間近に迫ったならば、たとえどんなにやりたいことをやったとしても、まだ死ねない、少しでも生きていたいと思うほかありません。

どんなに地位や名誉を得て生きた証を残したとしても、それで死んで悔いなしとは到底思えないものが私たちです。

人は必ず死ぬ。

でも、本当に死が目の前にやって来ないと自分の求めているものが死に対して何の役にも立たないことに気づきません。

幸せは死を乗り越えることにある。

死を目の前にして気づいても手遅れだからこそ、まだ元気なうちに何をしたら死を乗り越えられるかを知らなければならないのです。