自分は何者かも分からず、それに気づかずに生きている | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

人は都合の悪い、醜い自分、悪い自分、汚い自分が見えると、これは自分ではないと否定しています。

そして、自分の中でこれが自分だという理想的な自分を作り出し、まわりの人からこの自分を認めてもらおうと頑張るようになります。

でも、どんなにまわりの人から、理想的な自分を認めてもらっても、それは本当の自分ではないから、認められた時は嬉しいが、すぐに心が渇く。

だから、もっと認めてもらいたいと頑張り続けるようになります。

しかし、臨終になると理想的な自分は崩れて無くなる。そうなると今までその存在さえも否定していた都合の悪い自分が見える。

しかし、その自分さえも否定して自分じゃないと思うので、自分が何者か分からなくなり、真っ暗闇の中に突入してゆく。

私たちは生きている時にこれが自分だと思っていた自分が死によって崩れてしまうから、自分が何者か分からなくなる。

何者か分からなくなるから、死んだらどうなるか分からない闇の中に飛び込んでゆかなけれぱならなくなるのです。

本当は生きている時に、自分は何者か知らなくてはいけなかった。

でも、理想的な自分に執着していた為に自分が何者かさえも分からないという真実を知ることなく生きてきてしまった。

そして、死ぬ時に自分は何者かも知らなかったという事実にぶつかることになってしまったのです。

人間にとって最も恐ろしいことは自分が何者か分からなくなってしまうこと。

それが死にやってくるのに、人は自分は何者かも知らずに、しかもそのことさえも気付かずに生きているのです。

まさに悲劇に向かって進んでいるものが人間なんだと思いました。