唯識に欲、勝解、念、定、慧という教えがあります。
これは最初の欲とは、私たちは欲を色々なものを求めるということです。たとえば、お金を求めたり、欲しいものを買ったり、地位や名誉や財産を求めることを言います。
よく宗教をやっている人はどうせ死んでゆく時には何も持って行けないのに、欲を起こして、欲しいものを求めることは意味がないことだと欲を起こすことを否定します。
だから、欲しいものがあっても我慢して使わないようにして、お金を貯めてその分だけ、自分の信じている宗教の為にお金を布施することがいいことのように教えられます。
しかし、仏教では欲しいものがあった時にそれを求めることは欲だけど、求めることは良くないことだとは教えられません。
欲しいものがあったら買ったらいいし、手に入れてもいいんだと教えられます。そして、買ってみても、そこには求めているような幸せはないことは身をもって知らされたらいいと教えられます。
経験してみてこそ、それに対する執着から離れる。これを仏教では勝解と言います。
そして、勝解することによって、欲を起こして外の世界ばかり見ていた目が内に向き、自分の心に目が向くようになります。
心に目が向いて心で今どんなことを念じているか分かることを念と言います。
もちろん私たちは自分の念じているものが分かると都合の悪い自分が見えます。だから、欲や怒りなどの煩悩を起こして都合の悪い自分が見えなくさせようとします。この都合の悪い自分を受け入れ、煩悩を起こすことがなくなったことを定といい、最後に自分の心が世界を生み出すという真理が知らされる。これを慧と言います。
欲しいものを我慢することなく、求めたらいいと教えられるものが仏教。
自分の心に優しい教えが仏教なんですね。