阿弥陀仏の本願はどんな極悪人も救うというお約束。
だから、どんな悪いことをしても浄土に往生できるのだから、悪いことをしてもいいんだということてはありません。
じゃあ、悪いことをしたら助からないのかと言えば、そうでもありません。
じゃあ、どういうことかと言えば、私たちには、これが正しいという正義がある。
その正義に自分を合わせようと自分を強制し、合わない心を悪だと見なし、否定する心があります。
この正義に合わない心が無くなって、正義にすべて従うことができたらいいと思っています。
でも、この正義に従えない心こそ、私の本体。
その本体を否定して、どんなに正しいことに従ったとしても、私たちは幸せにはなれません。
だから、阿弥陀仏は、私の中に正義に合わない心があっても、いいんだよと自分のことを肯定してくれているのです。
正しいことに従うことは大切なことですが、人間には感情があり、正しいことにいつも従える訳ではない。
それをこんな自分ではダメなんだと否定するのではなく、こんな自分も自分なんだとありのままに見て、そこに存在することを許してあげる。
そうすることによって、私たちは自分を否定することなく、自分も肯定的に見ることができます。
善人の自分も悪人の自分も共に自分。
こっちは存在してもいいが、こっちは存在してはならないと思うことなく、両方とも大切な自分と見てあげる。
そうすることによって自分の心に優しい世界に出ることができます。
それこそ、阿弥陀仏が本当に私たちに対して願うことなのです。