人は思い通りにならない時に見える心の世界こそ、真実の世界。
それは思い通りになっている時は見えないから、思い通りになっている時こそ、当たり前だと私たちは思っている。
しかし、それは真実の世界を誤魔化しているだけで、その誤魔化しは臨終と共に崩れ、真実の世界へと突入してゆく。
真実の世界を見て、どう思い、どう行動するか、それがそれから先の未来を生み出してゆく。
私たちは思い通りになることが当たり前だと思っている限り、真実の世界を否定し、ぶち壊せば、当たり前の思い通りになる世界が戻ってくると思っている。
しかし、その思いが苦しみの世界を生み出し、深い苦しみの底へと死後ゆかなければならない。
人は、思い通りになっている自分のまま、死んだ後も続いてゆくと思っている。
しかし、それはもろくも崩れ去るのが後生なんだと知らなければなりません。