仏教は形よりも心を問題にする。たとえ形として人を殺したとしても、心で殺してやると思わずに殺してしまったならば、法律では罪になるけど、苦しみを生み出すような罪にはならない。
殺すつもりはなかったとしても、苦しむ人がいるのは、自分で人を殺してしまった悪い自分を責めるからです。
悪を責める人は、自分が悪をしてしまった時に自分を責める。すべては自分の心が自分の世界を生み出してゆく。この世で自分を苦しめるものは自分しかいない。だから、自分の心が変われば、この世から苦しみもなくなる。
私たちはじぶんのやった行いばかり見て、心を見ようとはしない。仏教だけが心を問題にして、心を変えてゆこうとする。
こんな金持ちになりたいという人から、こんな心の人になりたいと変わるのが仏法なのです。