よく仏教で人生の目的は何かと聞かれます。生きる目的は何かと聞かれて、ほとんどの人は考えたことがないのではないでしょうか?
それはみんな人生の目的は知らなくても、すでに生きる目的を持っているからです。では、生きる目的とは何か?
それは価値のあるものを手に入れて価値のある人間になることです。これはみんな当たり前のように価値のある人間になりたいと思って生きています。
自殺をする人も生きる目的を知らないから死ぬのではなく、頑張ったところで自分の思うような価値のある人生を生きることができないから死にたいと思うのです。
でも、どんなに価値のあるものを手に入れて価値のある人間になったとしても、飛び立った飛行機は降りていかなければならないように、やがて老いや病によって価値を失い、価値のない人間にならなければならなくなるのです。
裸で生まれたものは裸で死んでゆく。どんなに生きている時に価値のあるものを手に入れてその時は価値のある人間になれたと思っても、死んでゆく時には、すべてを失って価値のない人間になったとしたら、何のために生きているというのでしょうか。
人が人生の目的を真剣に考えるのは、価値を失った時。でも、ほとんどの場合、人生の最後になって初めて知る真実です。
そこで人生の目的とはなんだろうかと考えても遅いのです。でも、みんな価値を失うなんて思ってないから、人生の目的なんて考えることなく一生を終えてしまう。
価値のあるものを求めても、人生に意味はないと知ることができなければ、人生の目的を考えることもないのですね。