多くの場合、人を好きになるということは、相手に綺麗な自分を見せて、その綺麗な自分を好きになってくれた相手のことを好きになることなんだと思います。
だから、本当は相手のことが好きなのではなく、綺麗な自分のことが好きなんだと思います。この綺麗な自分が好きというのは、醜い自分となったら嫌われるという思いであり、相手に嫌われたくない一心で綺麗な自分でいようとします。
でも、結婚すると、綺麗な自分のままでおれなくなる。お互い醜い自分を見せてしまう。そうなると、幻想は崩れ、強烈な好きという感情はなくなり、醜い自分を見せた相手に対してもう綺麗な自分を見せて取り繕ろうとはしなくなる。
それは安心ということではありますが、その安心は結局、相手のことを大事にしない安心。どうせ醜い自分を見せた私に対してあなたは好きとはおもってくれないんでしょと相手を疑って、醜い自分を大事にできないように、醜い自分を見せた相手も大事にできない。仏教で本当に相手のことを好きになるには、ありのままの自分をまず自分が受け入れないといけない。ありのままの自分を受け入れることができなければ、いつも綺麗な自分を見せることができる相手を探し続ける。そして、綺麗な自分を見せている間だけ好きになるのです。