仏は同じ仏の世界から智慧を得ている。いつも仏の世界を念じ、説法の時は仏の世界からイメージを与えられて説法している。
だから、大宇宙どこに行っても、仏様とは同じ教えを説いているのです。よく仏様は他の仏様のことが分かると言われますが、それはすべての仏は、一つの同じ仏の世界を念じて説法しているから同じ教えになるのです。
この仏の世界の智慧をより深く明らかに正しく理解して教えを説くことができる方が仏様。それは純粋に仏教の教えに従い生きてきた人でなければできないことです。
純粋に生きるとはどういうことか?
それはこの世界のあらゆるものに我をつけて、これは自分のものだと執着することはしないことです。
執着は都合がいいとか、都合が悪いとかという都合を生み出す。そして、無意識のうちに都合の悪いことを都合の良いことに変えてしまう。
だから、仏の世界からイメージを正しく受け取ることができず、自分の計らいで話をするようになる。仏の説法というのは、自分の頭で考えることはしない。ただ心に浮かぶイメージを言葉にするだけ。
でも、都合によって目が曇ると、イメージを正しくみることができなくなる。そして、自分の頭で考えた話になる。考えた話は、真実を明らかにした話ではなく、説くものにとって都合の良い話。それをあたかもこれが真実だというように話してしまう。
それは聞いている人たちを深い迷いの世界へと連れて行く恐ろしい教え。だから、仏様は執着を厳に慎まれる。
すべては一時自分の所にやってきた借り物。だから、すべては当たり前ではないと思って大事にしてゆくことが、執着から離れるために大切なことです。
仏は誰よりも仏教の教えに純粋に生きている。だから、輝いているのですね。