宗教の恐ろしさ。それはその宗教にとって味方ならば優しく接してくれるけど、敵となったならば、無慈悲に攻撃してくる所です。
私も以前宗教に所属していました。その時、宗教の恐ろしさは分からず、この宗教こそ真実だと思って人生をかけていました。
ところが、その宗教にとって私の存在が都合が悪くなった時、私を排除する為に、ありもしない嘘を信者に吹き込みました。そして、今まで友達だと思っていた人から、あなたがこんな人とは思いませんでした。最低ですとメールをもらった。
ここで私が問題だと思うことは、組織の人たちが嘘を流して、私のことをありもしない悪人に仕立て上げたことではありません。
そうではなくて、今まで仲良くしていた人でさえも、こんなことを吹き込まれたけど、何かの間違いてはないかと思って事情を聞いてくれる人が誰もいなかったことが、宗教の恐ろしさが現れていると思います。
つまり、宗教とは上から言われたことをそのまま真実だと思って思い込み、自分で考えることをしないロボットへと変えてしまうことが恐ろしいのです。
お釈迦様は亡くなる前に、どんなに教えが正しくても、その教えを鵜呑みにしてはならない。あくまでもその教えが正しいかどうか自分の目で判断して、一つ一つの教えを見極めてゆかなければならないと「自灯明、法灯明」と教えられています。
だからこそ、仏教では、人間の自分で考える力を尊重しているのです。しかし、宗教とは人間の自由に考える力を否定し、言われたことをそのまま正しいと信じる人形へと変えてしまう。
考える力を奪われた人は、それはもう人間ではない。人間を人間ではなくしてしまう宗教とは、本当に恐ろしいものだと思いました。