善をやるには | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

いくら善に励んでも、雑行だと幸せにはなれない。

雑行とは、責められたくないからやる善。私たちは悪をしている人を責めるから、自分も悪をすると責められているように感じて、責められたくないから悪を止めて善をするようになる。

しかし、その善は本当はやりたくないのに、やらないと責められるからやっているだけなので、せっかくやっていても、自分が責められない立場になるとやらなくなる。結局、どんなにやっても身につかないのです。

それどころか、善に励めば励むほど、善をせずに怠けている人が許せなくなって、その人を口には出さなくても心で責める。だから、善をするどころか、罪悪を造ることになる。

善をしたいと思ったら、善を心からしたいと思うような幸せな人を心に思い浮かべ、その人のようになりたいと思って、善をすること。

雑行は形は善をしていても、心では、悪をして責められる姿を念じている。だから、念じているものに近づいてゆくので、いつまで経っても善が身につくことはないのです。

善をしたいと思ったら、体でどれだけ善に励むかよりも、心で何を念じているかが大事。

幸せになりたければ、念じているものに目を向け、悪から善へと変えなければならないのです。