いくら善に励んでも、雑行だと幸せにはなれない。
雑行とは、責められたくないからやる善。私たちは悪をしている人を責めるから、自分も悪をすると責められているように感じて、責められたくないから悪を止めて善をするようになる。
しかし、その善は本当はやりたくないのに、やらないと責められるからやっているだけなので、せっかくやっていても、自分が責められない立場になるとやらなくなる。結局、どんなにやっても身につかないのです。
それどころか、善に励めば励むほど、善をせずに怠けている人が許せなくなって、その人を口には出さなくても心で責める。だから、善をするどころか、罪悪を造ることになる。
善をしたいと思ったら、善を心からしたいと思うような幸せな人を心に思い浮かべ、その人のようになりたいと思って、善をすること。
雑行は形は善をしていても、心では、悪をして責められる姿を念じている。だから、念じているものに近づいてゆくので、いつまで経っても善が身につくことはないのです。
善をしたいと思ったら、体でどれだけ善に励むかよりも、心で何を念じているかが大事。
幸せになりたければ、念じているものに目を向け、悪から善へと変えなければならないのです。