仏教では、善をすることよりも善悪の基準を変えないことが大事だと教えられる。
それは私たちは悪をすると罪悪感で自分を責めるから、自分を悪にしないように悪を正当化して正しい所に立ってしまう。
このように自分の都合で善悪をコロコロ変えているものが私たちだから、いつも自分は正しいことをしているとしか思えない。
そして、自分が間違っていると思えないから、相手の悪を責める時は容赦なく責めてしまう。責めるから、自分が悪をしたときには、誰かを悪者にして相手を責めて正しい所に立つ。
でも、都合によって善悪の基準が変わると、悪でも善だと思って思いっきりやってしまい、その報いで苦しまなければならない。
たとえ善ができなくても、善悪の基準が変わらなければ、悪をした時、悪を悪だと認められるし、自分には悪はないのだと思って、悪をした相手を思いっきり責めることもなくなる。
善をすることも大事だが、それ以上に悪をしている自分を否定せず、そのまま受け止めることの方が大切なのです。