差別はいけないという人が差別する | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

失敗した⼈に対して、なぜあなたがこの⽴場にいるのですかと疑問視して、その⼈をやめ
させようとする⼈が」いるが、そういう⼈を⾒ると悲しくなる。なぜなら、その⼈は今ま
でその⽴場でどれだけ苦労してきたか、どれだけ功績を挙げてきたかを考えることなく、
⼀回のミスでその⼈をその⽴場から追い出そうとする。これって悲しいことだなと思うの
です。
誰だって失敗することがある。それによって傷ついた⼈が現れるかも知れない。だから、
この⼈をやめさせて次の⼈にすればいいんだというのは、結局、傷ついた⼈がいるから、
あなたも傷つけと⾔っているようなもので、傷つく⼈が現れることを正当化しているだ
け。もちろん、この⼈の発⾔によって傷ついた⼈がいることはいけないことだが、だから
と⾔って、加害者であるその⼈を傷つけていいというのは、おかしい。
世の中では、被害者を守る為には、加害者をどれだけ責めてもいいという考え⽅がある
が、それこそ、よってたかって悪いものをいじめている差別以外の何者でもない。差別は
いけないといいながら、悪いやつは差別してもいいと思っている。
善⼈であっても、悪⼈であっても、傷つくものが現れることは悲しいと思いたいですね。