⼈を⾺⿅にすることは、恐ろしい。⾺⿅にしている⼈は、何の悪気もなく⾔っているつもりでも、⾔われた側は深く傷つく。そして、いつまでもいつまでもその⼈の⼼に残り続ける。⼈を傷つけるという⾃覚なく傷つけることは、罪深い。何が⼀番問題かと⾔えば、相⼿は深く傷ついていながら、それを笑って何も思わず平気でおれるところ。
我ながら、⾃分はそんな⼈間だった。いつもできる所に⽴って、相⼿を⾒下し、相⼿が傷つく⾔葉を何の罪悪感もなく、相⼿が傷ついたことも分からず、だから、相⼿の気持ちも分からず、平気でいる。
知らなかったから許される問題じゃない。⾃分はこんなに他⼈の気持ちに疎く、無神経な⼈間だったことを深く知らなければならない。
⾃分の過去を知ることは怖い。でも、知らなければ、反省して直すこともできない。他⼈を⾺⿅にすることは、その⼈を⼀⼈の⼈間として⾒てないこと。どんな⼈も⼈間である限り、敬うべき存在。
それをこの⼈だから、⼈間として⾒なくていいんだと思うことは、思い上がりも甚だしい。
⾃分はいかほどの⼈間というのか。
それを受け⽌めて、⾃分はこんなお粗末な⼈間と
思って。⽣きてゆかなければならない。でも、どんなにお粗末な⾃分でも、存在していいと肯定するのが、仏法。
⾃分を肯定してこそ、相⼿も肯定できる。どんな極悪⼈も許すということはということは、同じ⼈間として⾒るということ。できていなかったことを反省して頑張ります。