利他の信楽うるひとは 願に相応するゆへに 教と仏語にしたがへば 外の雑縁さらになし
阿弥陀仏から利他の信楽を得た人は、阿弥陀仏の十八願に誓われているように、心を浄化する為に現実と向き合い続けるようになる。しかし、それは心から向き合えるようになるのではなく、心では様々な煩悩が吹き上がったまま、現実と向き合い続ける。だから、十九願で誓われているように菩提心を起こして善に励んでゆくまま、どうにもならない心が知らされ、お粗末な心に二十願に誓われているように念仏せずにはおれない。都合の良い時だけ頑張るのは、それは自分が善人でいたいから。でも、どんな時も現実と向き合うことから逃げずに向き合い続ける。そうすると、自分を非難する人に対して、その人を否定したいという心が吹き上がるまま、でも、この現実を受け止めて、相手を否定してはならないと思う。そうすると、こんな時、仏様ならば、きっとこの苦しい現実をありのまま受け止めて、相手に対して慈悲の心を起こすのだろうと思うと、仏様は尊いなあという思いになる。善に向かわなければならないと思いながら、善の心になれない自分に対して、否定せずお粗末だなあと受け入れる。これがなかなかできないけど、それを実践するのが、利他の信楽を得た人。だから、十八願に相応する人であり、菩提心を起こして善をしなさいというお釈迦様の教えに従い、仏を念じなさいという仏語に従う人でもある。