真実信心えざるをば 一心かけぬとおしへたり 一心かけたるひとはみな 三信具せずとおもふべし
信心とは、世の中では何かを心から信じることだが、仏法では信心とは、現実から逃げずに向き合う心。私たちは都合の悪いことにぶつかると、こんなことになったのは他人が悪いと思って他人のせいにする。この時、他人が悪いと思って、自分を守るのではなく、原因は自分にあると思って、自分の心を反省してゆく。どんなことがあっても現実から逃げない真実信心になったならば、それは現実から逃げようとする二心にもならないから一心になったという。
この一心がない人は、どんなに阿弥陀仏に救われたと言っている人も、それは都合の悪い現実がやってきたならば、そこから逃げて、自分を正当化する人だから、阿弥陀仏に救われた人ではない。だから、三信も得ていない人なのである。
阿弥陀仏に救われたかどうかは、如何に都合の悪い現実から逃げずに向き合えるかであって、阿弥陀仏に救われた人は、信心を頂くので、現実から逃げずに向き合って二河白道を進んで行くので、浄土に往生することができるのです。