金剛堅固の信心の さだまるときをまちえてぞ 弥陀の心光摂護して ながく生死をへだてける
どんな時でも崩れない金剛堅固の信心が定まったならば、心で醜いことや汚いことを思わない訳ではないし、現実が見せつけられた時に、それを否定したいという心が起きない訳でもない。私の心でありながら、一番思い通りにならないものが心。だから、金剛堅固の信心になったとしても、心では様々な都合の悪い心が起きる。それでも、煩悩を起こして現実をどんなに誤魔化したいとしても、阿弥陀仏の無碍の光明が照らし、真実を見せられる。だから、現実から逃げることができず、向き合わざるをえない。そうやって、どんなに現実から逃げたいと思っても、現実と向き合って二河白道を進んで行くことができるので、生死の苦しみから離れて行くことができるのです。