悪人はズルい。悪人は散々私に対して悪いことをしていながら、その悪人に対して恨むと私の負け。恨んだことによって、罪悪を造り、その罪悪の報いによって自分が苦しむ。
それが分かるから、悪人を見ても、なるべく責めないようにしなければと思うのに、悪人を見てしまうと、心が勝手に責めるという思いを起こしてしまう。
だから、私は悪人によって散々傷つけられ、そして、悪人を見ては罪悪を造り、その報いで苦しむ。
結局、悪人によって傷つけられた被害者が私なのに、悪人を恨むから、その後も苦しみ続けることになってしまう。
この悪人さえいなければ、私は恨むという罪悪を造ることもなかったと思うと、悪人が私を苦しめたことで、私はこれから先も苦しみ続けなければならないと思うと、悪人を見て恨まずにはおれない。
私を苦しみという呪縛に縛り付けた存在が悪人。そういう意味で、自分の身近に悪人がいて、苦しんできた人ほど、悪人を許せないのは仕方ないし、許せないから、これからも罪悪の報いで苦しむことになる。
だからこそ、悪人を許せない気持ちも分かるが、相手を恨めば、相手が苦しむのではなく、自分が苦しむのだから、自分は苦しみを受けた被害者だからこそ、これ以上苦しまない為にも、悪人を恨んではいけない。
でも、それは自分を傷つけた悪人をのうのうとのさばってゆくことにもなると思うと許せないと思う気持ちになるのも仕方ない。
悪人によって傷つけられた人ほど、許せないと思うのも仕方ないのかなと思いました。