鸞師のおしへをうけつたへ 綽和尚はもろともに 在此起心立行は 此是自力とさだめたり
曇鸞大師の教えを受けて、道綽禅師は、菩提心を起こし、修行して徳を積んでゆく聖道仏教の教えをすべてこれは自力だと定められた。
聖道仏教は自力であるということは、正しい智慧を持たれた善知識がいないから、修行してゆく道がすべて自力となってしまうのであって、聖道仏教=自力ではない。自力の道は、自分の心を責めるように、やってない人を責める。だから、どんなに修行に励んでも、それは善ではない。だから、捨てなければならない。しかし、悟りを開きたいと思ったら、菩提心を起こし道を進んでゆかなければならない。それは聖道仏教も浄土仏教も同じ。
しかし、浄土仏教は善知識がいるから、私たちは自力に陥ることなく、正しい道を進んでゆけるのです。