二者信心一ならず 決定なきゆへなれば 三者信心相続せず 余念間故とのべたまふ
真の信心ではない特徴の二つ目は信心が一つに定まらない。それは自分の中でこれだと定まることがないから。結局、自分の都合のいいことには頑張るが、自分の都合の悪いことには頑張らないのが私たちの心。どんなに自分の心で私は救われた、信心があると思っても、現実と向き合う力はないので、都合の悪い現実と向き合わなくてはならないと思うことがない。だから、都合の悪い現実とぶつかった時に、都合の良いように現実をねじ曲げ、現実と向き合うことから逃げてしまうのである。
三つ目には、どんなに頭で現実と向き合って二河白道を進まないといけないと分かっていても、それは本当に分かっていることではないから、その思いが続かず、別の思いばかり考えてしまうということです。信心とは、頭だけでこうだと決めて頑張るものではなく、心で納得して進むもの。だから、心で納得するまで、正しい教えを聞いていかなければ、真の信心を起こすことはできないのである。