如来清浄本願の | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

如来清浄本願の 無生の生なりければ 本則三三の品なれど 一二もかはることぞなき

阿弥陀仏に救われて、極楽に生まれるということは、肉体が死んで極楽に生まれるということではなく、心が別の心に生まれるということ。私たちは世界を心で見る。同じ世界でも心が変われば、それは別の世界。だから、どんなに浄土という素晴らしい世界に生まれたとしても、心が変わらなければ、そこは苦しみの世界となってしまう。逆に苦しみの世界であっても、清らかな心であったならば、そこは幸せな世界となる。

では、苦しみとはどこから来るのか?

それは他人と比べる心から生まれる。他人と比べて自分が上に立って優越感を味わおうとするから、他人より下になった時に苦しまなければならない。私たちはこの他人と比べる心によって、人間に上下を生み出し、自分が上に立って見下そうとする。でも、本当の幸せは自分ほどお粗末な人間はないと下の下だと知らされるところにある。自分が一番下だと知らされたならば、他人を見下して罪悪を造ることはない。見下すことがないから、見下されたと感じて苦しむことはない。その下の下だと知らされた世界が浄土であり、その世界に到達させるのが阿弥陀仏の本願なのです。