安楽仏国にいたるには 無上宝珠の名号と 真実信心ひとつにて 無別道故とときたまふ
阿弥陀仏の極楽浄土に往生するためには、現実と向き合い、目の前の相手は唯識によって生み出された映像に過ぎないことを知らなければならない。
しかし、現実と向き合わなくてはならないと分かっていても、自分が見ている相手が馬鹿にしてきたり、責めてきたりすると、とても映像には見えず、避けようとしてしまう。だからこそ、現実と向き合う為には、信心と念仏が必要なのである。
しかし、どんなに信心があっても、念仏がなければ現実と向き合うことはできない。逆に念仏があれば、信心がなくても、念仏によって信心が起きるので、現実と向き合うことができる。だから、信心と念仏さえあれば、極楽にゆけるというのは、現実と向き合うことができるからであり、何もしなくても極楽にゆけるわけではないということを知って頂きたい。