諸仏三業荘厳して 畢竟平等なることは 衆生虚誑の身口意を 治せんがためとのべたまふ
私たちは、人のことを信じているようで信じてない。どんなにこの人しかないと思っても、心の中では人を信じて裏切られることが怖いから、相手が私のことを大事にしてくれるのは、自分に価値があるからだと思ってしまう。そして、自分に価値があれば、みんな自分のことを大事にしてくれると思っている。そんな人を信じてない私たちに対して、仏様は信じられる人もいるのだよということを教えて下さる。それは自らこころを開き、真心で大事にして下さる。そうすると、私たちはだんだん心を開き、今度は馬鹿にしたり、責めたりしてくる。それを敢えて受けながら、それでも仏様は優しく接して下さる。これが仏様と神様の違い。神様は軽く扱うと罰を与えてくるが、仏様は軽く扱ってもにこやかに接して下さる。そうやって、人を信じられない私たちをこの人だけは信じられると思えるようにして下さる。仏様がこのように馬鹿にされても、優しく接してくれるのは、相手は自分だということを知っているから。馬鹿にされて腹が立つのは、自分も誰かを馬鹿にしているから。仏様は相手は自分だと知っているから、この世に馬鹿にしていい人なんていないと知っている。だから、どんな相手であっても馬鹿にすることはしない。その悟りを開いているからこそ、私たちの心を開き、人を本当に信じられるところまで導くことができるようになるのです。