名号不思議の海水は 逆謗の死骸もとどまらず 衆悪の万川帰しぬれば 功徳のうしほに一味なり
阿弥陀仏に救われるとは、阿弥陀仏の無碍の光明にいつも照らされることであるから、心の中に相手のことが許せないという逆謗の死骸があったとしても、その死骸が海の水によって分解されてゆくよう、自分の中から許せないという気持ちが消えてゆく。それはすぐに消えるということではないが、時間をかけて、確実に自分の中から消えてゆく。人はこの許せないという感情があるから苦しむ。相手に不幸になって欲しいと思ってしまう。相手がいい思いをしていると、なんであの人はやらないのかと思う。それでいて、自分だけがやるとなると腹を立てて、誰かを責める。人を許すとは、自分のことを馬鹿にしている人を許すということ。人を許すとは、自分よりも調子に乗っている人を許すということ。人を許すとは、自分よりも楽をしている人を許すということ。そんな許せない心が自分から消えてゆくのが阿弥陀仏の無碍光の働き。だから、自分の心から悪がなくなり、喜びの功徳の一味となるのです。