罪障功徳の体となる こほりとみずのごとくにて こほりおほきにみずおほし さはりおほきに徳おほし
生きることは、様々な障りや苦しみを受けること。嫌なこととぶつかり、苦しみ。それが障りになって苦しみ続けなければならない。
しかし、阿弥陀仏に救われたならば、今まで障りになって苦しんできたものが、幸せを感じる喜びへと変わる。だから、人生に苦しみがなくなる。それは障りとは、他人が悪いと思っているからである。それが阿弥陀仏の無碍光によって他人が悪い訳ではない。すべて自分の種まきだったんだと知らされる。他人が悪いと思っていた時は、他人が変わらなければ自分の苦しみは変わらないと思っている。だから、他人を排除したいと思うし、そう思えば思うほど、他人はどうにもならないので、どうにもならない現実が苦しくて障りになっていた。
それがすべては自分に原因があると知らされると自分が変われば、現実を変えることができると知らされる。だから、現実は変わらなくても、その現実の受け止め方を変えればいいんだと知らされて、自分の力で世界を変えてゆけばいいんだと思って前向きに現実と向き合うことができる。
そんな他人のせいにしていた人が自分に原因があったと知らされるのが阿弥陀仏の無碍光。だから、どんなに大きな氷のようにどんなに動かない心があったとしても、氷が大きければ大きいほど、障りが大きければ大きいほど、その障りを現実と向き合う功徳に変えてくれるから、喜びも大きくなる。これが阿弥陀仏の無碍光の働きなのです。