論主の一心ととけるをば | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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論主の一心ととけるをば 曇鸞大師のみことには 煩悩成就のわれらが 他力の信とのべたまふ

天親菩薩が一心と言われているのは、曇鸞大師は煩悩から離れられない私たちが他力の信を得ることだと教えられている。

一心とは何か?

それは現実と向き合う心。どんなに都合が悪い現実であったとしても、そこから逃げずに立ち向かうこと。例えば、私のことを悪く思っている人がいると、そんな人のことを悪く思って、正しい所に自分を立とうとする。でも、そうやって、相手を悪く思うと、その時は心は楽になるが、ますます自分のことを悪く思うことはできなくなり、悪人だと思った時にすぐに誰かを悪者にして、自分を善人のところに立とうとしてしまう。でも、そうやって、善人になろうとして、悪人を否定していると、悪人の側になったときに、あまりにも現実が苦しくなり、誰かを否定せずにはおれなくなる。

現実と向き合うとは、悪人の側に立つということ、相手が私のことを悪く見ていたとしても、その人と向き合い、ちゃんと謝る。それは責められている相手と向き合うこと。それは苦しいこと。でも、そうしなければ、苦しみはすべて自分の心が生み出しているという真実は分からない。

この現実と向き合い続ける心を一心という。でも、私たちは現実と向き合うことが恐ろしくて、煩悩を起こし現実から逃げ続ける。そんな私たちが現実と向き合い、悟りを開く道は他力の信心しかないから、曇鸞大師は一心とは信心であると言われたのです。