往相の回向ととくことは | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

往相の回向ととくことは 弥陀の方便ときいたり 悲願の信行えしむれば 生死すなわち涅槃なり

往相回向というのは、阿弥陀仏の導きによって信心を頂いた時のことである。その信心には、現実から逃げずに向き合う力があるから、どんな苦しみも心穏やかに乗り越えてゆくことができる。

苦しみはどこから生み出されるか。それは現実と向き合うと都合が悪いので、向き合うことから逃げてしまうところから、生み出される。しかし、どんなに現実と向き合うことが大切だと聞いても、現実が苦しいと、そこから逃げてしまい。都合の良いように現実を歪めてしまう。人間とは、自分の都合の良いように現実を見るところがある。正しいのは、いつも自分。間違っているのは、いつも他人。そう思って突き進んでゆくと、現実がどんどん苦しくなる。だからこそ、どんなに都合の悪い現実であっても、そこと向き合い反省してゆかなければならない。それをしてくれるのが信心。だから、信心のあるものに絶望はない。どんなに大きな失敗をしても、そこから這い上がって進むしかないと知らされるからだ。そんな人に苦しみはない。苦しみがあっても、そこと向き合えるから、それはもう苦しみではなくなる。人生は不幸なことがあるから苦しむのではない。苦しみと向き合うことから逃げるから苦しくなるのである。