六十有七ときいたり | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

六十有七ときいたり 浄土の往生とげたまふ そのとき霊瑞不思議にて 一切道俗帰敬しき

曇鸞大師は六十七歳のときに、浄土往生をとげたまわれた。その時、不思議な霊瑞があり、そのことを知った一切の道俗は曇鸞大師のことを敬った。

君子ひとへにおもくして 勅宣くだしてたちまちに 汾州汾西秦陵の 勝地に霊廟たてたまふ

君子はひとへに重く見て、汾州汾西秦陵に曇鸞大師の為に霊廟を建てるように命令した。


浄土往生はいつできるのか?

多くの人は肉体が死んで極楽に往生することが浄土往生だと思っている。だから、阿弥陀仏に救われさえすれば浄土往生できるのだから、自分の心の種まきには目を向けずに、放置してしまう。しかし、自分の心が変わらなければ、どんなに素晴らしい世界に行ったとしても、その世界を見るのは、私の心。今が苦しみならば、どんな幸せな世界に行ったとしても、その世界は苦しみでしかない。だから、浄土に往生したいと思ったならば、私の心を変えてゆかなければならない。では、どう変えるのか?

それはどんなに都合の悪いことが起きたとしても、他人のせいにすることなく、こういう結果を受けるのは、自分に原因があったのだと、自分の種まきを反省すること。

それは自分を責めることではない。責めることは反省ではない。本当の反省は責めないこと。責めないから、責めることよりも、心は苦しい。何故なら言い訳できないから。でも、静かにその苦しみを忍ぶ。そうすれば、一つの結果を通して、たくさんの知らされることがある。失敗は誰にでもある。でも、浄土を目指す人は、その失敗を通して反省してゆかなければならない。失敗を他人のせいにしない世界。それが浄土なのです。