天親菩薩のみことをも 鸞師ときのべたまわずは 他力広大威徳の 心行いかでかさとらまし
天親菩薩の教えは浄土論に教えられている。しかし、浄土論に何が教えられているのか。それを浄土論註によって明らかにしてくれなければ、他力の心髄を私たちは知ることはできなかった。じゃあ、他力の心髄とは何か?
それは、阿弥陀仏の救いとは、阿弥陀仏に救われたら、それで完成であり、そこから先は何もしなくていい訳ではないということである。私たちが浄土に往生するには二河白道を進まなければならない。二河白道とは、相手と向き合うこと。この時、私が向き合う相手とは、自分の心が生み出した相手なのに、そこに実態があると思って、実際の相手がそのように思っていると思っている。だから、向き合うことによって、自分が思っている相手とはあくまでも自分が思い込んでいる相手であって、実際の相手は違うということを知らなければならない。私たちは自分の生み出した相手のイメージに恐れを起こし、逃げたり、その相手を敵視して否定している。しかし、それはあくまでも自分の生み出したものであり、目の前の相手とは、自分なんだと知ることによって、恐れを抱かなくなる。それが二河白道。
それは阿弥陀仏に救われても相手は自分なんだということは、相手と向き合わなくては分からない。だから、すべては自分が生み出した思い込みなんだと知らされるまで向き合い続ける。それが阿弥陀仏に救われても、救われていなくても必要なことである。そのことを天親菩薩は明らかにされ、曇鸞大師は浄土往生は肉体の死は関係ないことを明らかにされた。それは二河白道を進まなければ、私たちは本当の苦しみから離れることができないと明らかにされたのです。