無上上は真解脱 | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

無上上は真解脱 真解脱は如来なり 真解脱にいたりてぞ 無愛無疑とはあらはるる

この世の中で上のない程の上は真実の解脱になること。この真解脱になったことは如来である。この真解脱に到達したならば、自己愛からも離れ、相手が自分だと心から信じることができる。

仏教の目的は真実の解脱の到達することは、それはこの上なく素晴らしいことだから、無上上と言われる。では、真解脱とは、どうなることか?それは私たちの心の中にある愛欲が満たされ、愛欲から離れることができる。愛欲から離れると自分が認められるかどうかは関係なく、相手を認めることができる。自分のことを無視してくる人に対しても、その相手の存在を気持ち良く認めてあげることができる。それは愛欲を否定してゆくことでなれるのではない。愛欲を満たしてゆくことでなることができる。そして、同時に疑からも離れることができる。疑とは、相手が自分とは思えず、相手と自分とは違う存在だと思って、相手を傷つけても、自分は傷つく訳ではないと思って、簡単に傷つけるようなことを思ってしまうこと。でも、その相手に向けた刃は自分にも向いていることが知らされ、相手に向けた思いは自分にも向くのだと知らされることが無疑。この愛欲から離れ、疑からも離れることを如来というのです。