平等心をうるときを | 幸せのこころとかたち上田祥広のブログ

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人はどうしたら幸せになれるか。なぜ苦しまなければならないのか。お金や地位や名誉をどれだけ手に入れたかを問題にするよりも、自分がどうしたら幸せになれるかを問題にして生きてみませんか。

平等心をうるときを 一子地となづけたり 一子地は仏性なり 安養にいたりてさとるべし  

唯識が本当の意味で分かると、自分の目に映るあらゆるものが私と同じように大事にしなければならないと思う自他平等の世界に出る。自他平等とは、単に自分と相手を同じように見るだけではない。そこに自分はかけがえのない大事な存在であるというのが含まれる。だから、相手に向けた思いは自分に跳ね返るので、自分を大事に思うように、相手も大事に思うようになる。この境地を一子地と言われる。一子地とは、あらゆるものを自分のたった一人の子供のように見るということで、それは自分の存在をかけがえのない存在と思わなければ見れないものである。仏教とは、自分を如何に大事にするか、大事な存在と思えるかに極まる。自分を大事な存在と思えるようになるからこそ、自分のまわりの人たちも大事にしたいも思うようになる。この境地に到達したならば、自然と仏へと進んでゆく。だから、仏性とも言われるのである。でも、自分をどうしてそんなに大事に思えるのか?それは自分のことを大事に思って下さる阿弥陀仏がおられるからである。その阿弥陀仏の存在を心から信じられるようになって、自分は本当に大事な存在なんだなと思えるようになったのが浄土。だから、浄土(安養)にいたりて初めて、自分が大事に思えるようになり、また、相手も大事に思えるようになるのです。