五濁悪時悪世界 濁悪邪見の衆生には 弥陀の名号あたへてぞ 恒沙の諸仏すすめたる
煩悩にまみれ、みんな正しいところに立って他人を責めることしか考えないこの悪世界では、善をしたいと思っても善をすることができず、悪をすることがまるで善だと思っている。そんな邪見の人たちには、智慧を与えなければ、正しい善をすることはできない。その智慧を与えてくれるのが弥陀の名号だから、大宇宙の諸仏方は弥陀の名号を勧められているのである。
私たちは智慧がない為に他人を責めることが善だと思っている。相手の間違いを正すことが善だと思っている。智慧がなければ何が正しいか、何が間違いか分からない。だから、まず智慧がなければ、私たちは幸せになる為に善をすることもできない。よく浄土真宗の人たちは念仏を唱えているから、善をする必要はないと思っている人がいるが、これも邪見。幸せになる為には善をしてゆかなけれぱならないのに、智慧がないけら、善なんてできないし、やらなくていいのだと思っている。しかし、幸せになる為には善をしてゆかなければならない。しかし、私たちがそれを聞いて善をしようとしても、それは善ではないから、まず智慧を頂かなければならないのである。その智慧が収まっているのが、弥陀の名号だから、弥陀の名号を大宇宙の諸仏が勧められているのである。