弥陀和讃
無明の大夜をあはれみて 法身の光輪きはもなく 無碍光仏としめしてぞ 安養界に影現する
私たちは智慧がない為に相手が自分だと分からず、相手に向けた思いが自分に返ってくることを知らず、相手は自分ではないと思って、怒りを向けて相手を責めている。そんな私たちも仏法を聞いたならば、こんなことはいけない、今自分へと返ってきているものは、自分が相手に向けた思いなんだと知らされ、許せない相手も許せるようになる。智慧がないから、相手が自分だと分からない私に仏法聞いた時だけ、相手は自分だと知らせ、どんなに許せない相手もそれは自分へと返ってくると分かるので、許せるようになる。智慧のないものに智慧を与えてくれるのが、阿弥陀仏。それは説法を聞くことによって、智慧を与えて頂くことができる。このようにして、私たちは許せない相手も許し、二河白道を進んでゆけるので浄土まで進んでゆくことができるのです。