心はいつでもニュートラル
 

 

みなさん、こんにちは

起立性調節障害クローバーそよ風ひろばクローバー

代表 あいざわ 貴代です

訪問ありがとうございますニコニコ

 

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8月27日(日)に

第4回🌱そよ風ひろば🌱の

part2ですウインク

 

 

 

『ましかくな母親とでこぼこな娘のこじらせ体験談』

 

 

    

Aさんのご家族の紹介

 

夫:ASD・ADHDの傾向あるが日常生活に大     

  きな困り感はない

長女:20歳、専門学校2年生、来年卒業後の

  道を模索中、今年の4月にASDである

  ことを告知、二次障害で解離性障害を

  発症

次女:作業療法士を目指す高校3年生

茶々丸:癒やし犬であるチワワ

 

 

  先の見えない不安な日々と家庭崩壊 part2

 

高校生の長女はアルバイトを

始めましたが解離性障害により

なかなか続けることが出来ず

そのイライラは家族に向けられました

 

不思議なもので

母親の私が不安になれば

その波動が伝わり長女も

不安定なることが

多くなりました

 

そして

娘の娘のイライラは次第に私への

暴力へ変わり

それを遮るために主人が長女へ

暴力を振るう

次女は犬をつれて別室へ避難する・・・

 

長女と主人は

「怒り」を「暴力」と言う形で

出し切った後は

何事もなかったかのように過ごします

憔悴しきった次女と私は

怒りや呆れを通り越し

「無」の状態で部屋をかたづけるのです

 

ある日つかみ合いの最中に携帯の

緊急ボタンを押してしまったことで

警察が家に入ってきました

 

そのことをきっかけに長女自ら

警察に通報するようになり

話を聞いてもらえるからなのか

話終えると毎回スッキリした顔をしていました

 

ふらふらの状態で虐待の疑いを駆けられる私

他人事のように警察と談笑する夫

被害者のふりをする長女・・・

 

「暴力を受けているのは私なのに

虐待?出頭?

何で私ばかりこんな目に遭うのだろう」

この家を出て長女と離れて暮らす

覚悟が生まれた瞬間でした

 

 

  家庭復活へのキーパーソンは『娘』ではなく『私』でした

 

家を出た私はプラスになる目標を立てました

自分の時間を作る

長女の特性について知識を増やす

 

そして

同じような当事者の講演会に参加したことが

私のターニングポイントになりました

 

長女は何年もの間

「ママ、私、苦しいんだよ、分かってよ!」と

言葉と行動で伝えていたのに

それに気付けないひどい母親でした

 

 

娘を自殺未遂まで追い込んだのは

『私』だと、自己嫌悪でいっぱいになりました

でもカウンセラーの言葉で救われたのです

『自分を変えたい』

心からそう思いました

 

少しずつ離れた場所から

自分を客観的に見つめることで

「親離れ・子離れ」ができていない

共依存の親子関係に気付けたのです

 

そこから私は次女と

長女は夫と暮らす『別居生活』を

スタートさせました

 

別居生活を始めて

やらなければいけないことが

2人分に減り

始めて自分の時間を持つことができました

 

特性のある長女と主人の共同生活は

主治医から大反対されましたが

互いの特性がいい方向へ生かされ

協力し合いマイペースに生活しているようです

 

『別居』に対しマイナスなイメージを

持たれる方が多いでしょうが

我が家にとっては

家族それぞれの心地よい距離に気付けた

前向きな行動になりました

 

そして私は

『自分自身が親離れ出来ていない』

ことに気付きました

実家の母からの何気ない言葉を

気にするあまり

私のましかくな性格をより頑なにさせて

『~しなければならない』と

自分自身に暗示をかけていたのです

 

そこで『完璧でない自分』を認め

母から親離れする事にしたのです

自分を客観視することが

出来るようになり

ポジティブへ変換するための考え方を

実践することにしました

 

 

  考え方の変換

 

これまでの私は完璧主義者であり

▢のスペースが満たされていないと

不安になりました

全速で走り、エネルギーが切れると

イライラすることをくり返していました

 

以前の私は娘がアルバイトを辞めると

辞める=失敗=マイナスと

捉えていました

 

しかし今の私は

『バイトを辞めた

=娘に合わなかっただけ

=経験値がアップする』とポジティブに

物事を考えられるようになったのです

 

 

  不登校からの卒業・・・母と娘の『生きていく道』~その1~

 

長女は今年の3月で学生生活を終了します

これからは『就労』のステージをスタートします

 

就職への不安を感じた長女は

「自分の生きていく道」の

準備期間としてこの夏休みを過ごしていました

 

私は娘の高校選択の際に

私が歩んだような一般的な道しか

選択肢はありませんでした

 

しかし、今はあの頃の私とは違い

娘の特性や一般雇用以外の知識が増え

どんな生き方でも

生きて行くことが出来る、と

思えるようになりました

 

これまでの私は、長女の先回りをして

失敗させないように誘導してきた母親でした

長女に『きっと出来ない』という

レッテルを貼り

可能性を信用していませんでしたが

でもこれからは合格基準は持たず

『まぁ、いっか』と気楽に生きることを

最終目標にして

長女が進んでいく様子を少し後ろから

見守りながら生きて行けたらと思います

 

別居が始まった当初は

娘を見捨てて気持ちになっていました

でも今は

そばにいるのが当たり前ではない

見放すのではなく見守ることが出来れば

家族の形や距離に正解はなく

子どもファーストで生きる必要はないと

考えています

 

そして自分の軸で過ごすことも大切です

まず親が元気でないと子どもに向き合えません

だから親も居場所が必要なのです

ただの自分に戻れる場所があれば

今までとは違った関係性で子どもと

付き合えると思います

 

 

  不登校からの卒業・・・母と娘の『生きていく道』~その2~

 

長女から手紙をもらったのは

これまで2回だけです

1回目は入院して3ヶ月経過したとき

面会出来ない状況で初めての連絡でした

メモをちぎったような切れ端に

『こんなところに私を入れたあんたを

絶対に許さない!』と書いてありました

 

そして2回目は告知をしてから

1ヶ月後の今年の母の日にもらいました

 

私は過去に『あんたなんか産まなければよかった』と

言ったことがあります

その言葉がどれだけ娘を傷つけてしまう

ことかも分かっています

そんな母親の私に

『私を産んでくれて本当にありがとう』と書いてくれました

 

その言葉に、表現できないような感情に包まれ

涙が止まりませんでした

「今日まで生きてくれて本当にありがとう」と

心から思いました

 

 

  最後に

 

長女との関係をこじらせていたときの私は

狭くて暗い箱の中に押し込められているように感じ

生活に終わりが見えず不安ばかりでした

でも、かすかに光が見えると

希望が見えたように気持ちが高まり

まるで子どもと一緒にジェットコースターに

乗っているような毎日を過ごしていました

 

こんなにこじれた私と長女でも

今日という日を生きています

きっといつか、みなさんのお子さんが

輝くことができるそれぞれの居場所が

それぞれのタイミングで

見つかるはずです

今は辛い日々かもしれませんが

その日が来るのを一緒に見守りましょう

 

 

いかがでしたか?

 

 

悩みの内容は人それぞれですが

親御さんの気持ちには

たくさんの共通点があります

 

そして、Aさんはとても大切なことを

伝えていただきました

それは

『親が元気でないと子どもに向き合えない』

本当にその通りだと思います

 

多くの親御さんは子どもさんを優先し

自分の時間や気持ちは後回しになりがちです

親も心のゆとりはとても大切です

 

Aさん家族は『別居』を選択しましたが

親が元気でいるための選択肢は人それぞれです

Aさんがカウンセラーの言葉に救われたように

差し伸べられる手をつかむことで

何かが変わることもあります

 

もしこれを読んでいるあなたが

一人で悩んでいるのなら

きっとまわりに差し伸べられている

手がありますよ

 

 

もちろんクローバーそよかぜひろばクローバー

親御さん達にとって

安心・安全な場所ですよ~

いつでもいらしてくださいねウインクおいで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クローバー読んでいただきたい記事クローバーはじめの一歩・・・このブログの最初の記事
私のウィルビーイング…ウィルビーイングナビゲーターになったきっかけ
ついに起立性調節障害そよ風ひろばの誕生です…そよ風ひろばについて

 

 

 

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