膝の手術 Vol.1 | てくてく日記

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日頃の出来事を徒然に

おはようございます。


今日は朝から演出家さんと買出しへ。

稽古などあり、帰宅が深夜になります。


なので今日はちょっとお話など・・。


本    本    本    本


私は15歳の時に、左膝の骨の移植手術を受けています。


小学校の頃からずっと、痛む膝と付き合ってきました。


階段で突然転ぶ、立ち続けると膝が痛くてたまらない、などなど。


でも、小さい頃は痛みの頻度も程度もまちまちだったので、あんまり気にしてませんでした。


一時ですが剣道も習ってたし、水泳も習ってたし、走り回るのは大好きだったし。


習字にそろばん、それにお花(!?)と、正座をすることも多かった。


それよりなにより、しょっちゅう怪我ばかりしてたから、膝の痛みだけを構っている状態でもなくってDASH!


女の子    ランドセル   女の子   ランドセル 


中学になり、吹奏楽部に入部し、打楽器になり。


毎日の朝練に放課後練習の間中、立ちっぱなし。


その頃から痛みがひどくなり、ティンパニの練習中にふぅっと気を失ったこともあり・・。


しょっちゅう「疲れた・・」を連発の上、「膝が痛い」と家でぐずぐずするようになり、 なら、部活を辞めてしまいなさい と親に言われてしまったので、それ以降は家では膝の痛みを訴えないようにしてました。


すっかり癖になっていた足を引きずって歩くことさえ、知らず知らずのうちに、自宅近くになったらやめていたみたいです。


一方、この頃から手首の腱鞘炎は日常的になり、整形外科で痛み止めをもらうようになりました。


でも、手首の痛みよりも膝の痛みのほうが辛いから、薬を残しておいて、本番前にこっそり飲むようになり・・薬



ある時、学校の下駄箱においている私の靴が右足ばかり異様に減っていることに、体育の先生が気がつきました。


保健室の先生からも、あの子の歩き方はおかしい と言われていたそうです。


体育の授業に出ると毎回、 体育をしている場合じゃない、病院に行きなさい と言われるようになりました。


実はこの頃、私自身もかなり辛くなってきたので、手首の診察のついでに膝の痛みも訴えていたのですが、病院の先生は 成長痛でしょう との診断でして。


そっか、なら仕方ない・・と私も納得してしまって。


医者   跳び箱    医者   跳び箱


当時の部活の顧問は本当に厳しい先生で、不良メンバーから一目置かれている熱血教師でもありました剣道(竹刀)


当時、気性の荒かった(今も?)私を少し心配しておられたようで、先生が学級担任になった2年生の時には、同じクラスの不良生徒(不適切でしたらすみません)に、毎日授業ノートの写しを渡すのが私の当番になってしまい。


学校内の溜まり場にいないときは、自宅まで行って届けていました。


そして、部活の時に「渡したか?」「渡しました」と報告する毎日。


野外活動で登山をすることになった時、先生に お前は登山はやめておけ と言われました。


厳しい部活に不良生徒への毎日のノート渡し。

それはさせても、登山はやめろと言う。


これはいよいよ本当に、私の足はまずいのかな・・とうっすら不安を感じ始め。


案の定(というか何と言うか)、下山の時に足を滑らせ、転んだ時に手を付いて、手首を骨折しました。


怪我をしたことより、タイコが叩けなくなったことのほうがショックで。


「お前は何部だ?」「吹奏楽部です」

「パートは?」「打楽器です」

「怪我したらダメじゃないか」


この後、トランシーバーで頭をゴンッッパンチ!


そばにいた保健室の先生は 先生っっ! と青ざめてました。


でも、夜中に何度も 手はどうだ とテントを覗きに来たのも、この先生。